アーユスは2003年から2004年にわたり、日本国際ボランティアセンター(JVC)がパレスチナ西岸地区において行っている医療救援活動に支援させていただきました。現在、パレスチナの人権問題の大きな原因の一つが「分離壁」と言われています。パレスチナ西岸地区は、現在どのような状況になってきているのでしょうか。今後の支援の仕方を考えるためにも2月12日から17日にかけて視察ツアーを実施してきました。今回は、視察ツアーに参加した、会員の釜田尚紀さんにパレスチナの現状について報告していただきます。
このたび僕らを現地で受け入れてくれたJVCは、パレスチナにおいて、食糧、栄養改善、巡回診療活動、教育・文化などの支援を行っている。パレスチナでの3日間は、現地スタッフの小林和香子さんと、パレスチナ事業担当の藤屋リカさんがしっかりと付き添ってくれて、とても濃くとても充実した時間となった。
1日目のイベントは、朝から核心の「壁ツアー」。
2002年からイスラエルは彼らがいう「テロ」を防ぐため、パレスチナ自治区との境界線に「壁」を建設しだした。ここでの問題は、まず壁が境界線よりはるかにパレスチナ側に食い込んで建設されているということ。そして、パレスチナ自治区内に作ったユダヤ人の「入植地」をも守るべく、その周りにも壁を作っていることだ。さらに、入植地まで延びるユダヤ人専用道路へはパレスチナ人は立ち入れない。
今パレスチナ自治区は、壁と道路によって、さらに細かく分割されていっている。イスラエルの真意はわからない。でもきっと彼らは、この地からパレスチナ人を追い出したいのだろう。
この日は、その「アパルトヘイト・ウォール(分離壁)」の撤廃運動を行っている「Stop the Wall」の代表ジャマールさんの説明を受けながら、壁を見学することができた。
壁は高いもので9メートル。曲がりくねりながら建てられており、全長は700キロを越える予定である(ちなみに1キロあたりの建設費は2億円。アメリカが支援しているとのこと)。この壁により、パレスチナ人は今まで「隣」であった場所へ簡単に行けなくなった。
壁の向こう側には、彼らの土地や、彼らの兄弟の家、今まで通っていた学校や病院がある。なのに壁をずっとずっと迂回し、さらには検問所を通る必要がある。ちなみに実際に体験してみた。車で裏側に行ってみる。「隣」に行くのには25分かかった。
僕らは外国人だからまだいい。でもパレスチナ人は簡単に検問所を通れないし、いざ病院が必要となったときにも、そこに行けないということが起こりうるのだ……。
今回の旅のテーマは「壁」につきる。すべてのことが、この違法な壁にたどり着いてしまう。
現地の宗教学者と話せる機会も持てた。1日目にイスラム教についてアル・クアズ大学のムスタフ教授に。2日目にユダヤ教・イスラム教・キリスト教の3つ宗教における対話についてベツレヘム大学のデビッド教授に。収穫はあった。でも、この地で宗教がどこまで問題解決の鍵になりえるかというと、その糸口が見つからない。ただ、彼らが言っていた、「人権が守られるべきだ」、「国際法が守られるべきだ」という言葉が頭に残る(注)。
2日目の午前中はアーユスの支援にも関係している「パレスチナ医療救援協会」を訪れ、彼らが行っているモバイル・クリニック(巡回診療)に同行させてもらう。最終日の3日目にはベツレヘムの難民キャンプへ。
巡回診療では、壁や道路、さらに盛り土での道路封鎖などで完全に孤立してしまった街があることを知った。ベツレヘムは、かつてイスラエルとの衝突が激しかったところで、入るのにはもっとも厳重な検問所を通らなければならない。イエスが生まれた聖誕教会のある町だけれど、そこは壁だらけの観光都市だった。
あの光景を見れば、きっと誰しも、あの「壁」をなんとかなくしたいと思うだろう。爆破したい気持ちもわかる。けれど、あの巨大な相手には非効率だ。なんとか多くの人に、あの壁に触れてもらえることができたらいいのだけど。
また近い将来、パレスチナに行ってみたい。悲しいことは多いけれど、彼らの笑顔は素敵だったし、なによりもご飯がおいしかった。壁のない景色を眺めながら、地元のワインでも飲めたら最高だ。
(注)2004年7月19日に国際司法裁判所は、パレスチナでイスラエルが建設している「分離壁」」に関する勧告意見を出した。その中で、「イスラエルが西岸に建設している「ウォール」とそれによってもたらされている事態は、国際人道人権法に違反している。イスラエルは、「ウォール」建設を中止し、原状回復と賠償を行わねばならない」、と壁の違法性を明確に示している。
このたび僕らを現地で受け入れてくれたJVCは、パレスチナにおいて、食糧、栄養改善、巡回診療活動、教育・文化などの支援を行っている。パレスチナでの3日間は、現地スタッフの小林和香子さんと、パレスチナ事業担当の藤屋リカさんがしっかりと付き添ってくれて、とても濃くとても充実した時間となった。
1日目のイベントは、朝から核心の「壁ツアー」。
2002年からイスラエルは彼らがいう「テロ」を防ぐため、パレスチナ自治区との境界線に「壁」を建設しだした。ここでの問題は、まず壁が境界線よりはるかにパレスチナ側に食い込んで建設されているということ。そして、パレスチナ自治区内に作ったユダヤ人の「入植地」をも守るべく、その周りにも壁を作っていることだ。さらに、入植地まで延びるユダヤ人専用道路へはパレスチナ人は立ち入れない。今パレスチナ自治区は、壁と道路によって、さらに細かく分割されていっている。イスラエルの真意はわからない。でもきっと彼らは、この地からパレスチナ人を追い出したいのだろう。
この日は、その「アパルトヘイト・ウォール(分離壁)」の撤廃運動を行っている「Stop the Wall」の代表ジャマールさんの説明を受けながら、壁を見学することができた。
壁は高いもので9メートル。曲がりくねりながら建てられており、全長は700キロを越える予定である(ちなみに1キロあたりの建設費は2億円。アメリカが支援しているとのこと)。この壁により、パレスチナ人は今まで「隣」であった場所へ簡単に行けなくなった。
壁の向こう側には、彼らの土地や、彼らの兄弟の家、今まで通っていた学校や病院がある。なのに壁をずっとずっと迂回し、さらには検問所を通る必要がある。ちなみに実際に体験してみた。車で裏側に行ってみる。「隣」に行くのには25分かかった。僕らは外国人だからまだいい。でもパレスチナ人は簡単に検問所を通れないし、いざ病院が必要となったときにも、そこに行けないということが起こりうるのだ……。
今回の旅のテーマは「壁」につきる。すべてのことが、この違法な壁にたどり着いてしまう。
現地の宗教学者と話せる機会も持てた。1日目にイスラム教についてアル・クアズ大学のムスタフ教授に。2日目にユダヤ教・イスラム教・キリスト教の3つ宗教における対話についてベツレヘム大学のデビッド教授に。収穫はあった。でも、この地で宗教がどこまで問題解決の鍵になりえるかというと、その糸口が見つからない。ただ、彼らが言っていた、「人権が守られるべきだ」、「国際法が守られるべきだ」という言葉が頭に残る(注)。
2日目の午前中はアーユスの支援にも関係している「パレスチナ医療救援協会」を訪れ、彼らが行っているモバイル・クリニック(巡回診療)に同行させてもらう。最終日の3日目にはベツレヘムの難民キャンプへ。巡回診療では、壁や道路、さらに盛り土での道路封鎖などで完全に孤立してしまった街があることを知った。ベツレヘムは、かつてイスラエルとの衝突が激しかったところで、入るのにはもっとも厳重な検問所を通らなければならない。イエスが生まれた聖誕教会のある町だけれど、そこは壁だらけの観光都市だった。
あの光景を見れば、きっと誰しも、あの「壁」をなんとかなくしたいと思うだろう。爆破したい気持ちもわかる。けれど、あの巨大な相手には非効率だ。なんとか多くの人に、あの壁に触れてもらえることができたらいいのだけど。また近い将来、パレスチナに行ってみたい。悲しいことは多いけれど、彼らの笑顔は素敵だったし、なによりもご飯がおいしかった。壁のない景色を眺めながら、地元のワインでも飲めたら最高だ。
(注)2004年7月19日に国際司法裁判所は、パレスチナでイスラエルが建設している「分離壁」」に関する勧告意見を出した。その中で、「イスラエルが西岸に建設している「ウォール」とそれによってもたらされている事態は、国際人道人権法に違反している。イスラエルは、「ウォール」建設を中止し、原状回復と賠償を行わねばならない」、と壁の違法性を明確に示している。




Vol76:プロジェクト調査報告 パレスチナ西岸地区訪問